クロッキー |ModeCroquis:10分から1分へ。時間のグラデーションが映し出すもの
- 3月12日
- 読了時間: 4分
更新日:44 分前

2026年3月8日。
少しづつ寒さが和らいできた今日この頃。 風が吹くとまだまだ寒さを感じるが、日が差すと暖かく、近くの木津川が穏やかで美しい、小春日和の日曜。
大阪・江之子島文化芸術センター。

3か月に一度開催される、画友の佐上まりこさんが主催される「ちいさなクロッキー会」に参加してきました。
今回は、女性モデルを囲んで。
刻一刻と変わるポーズに向き合う時間は、デッサン家としては実物を肉眼で確認し研究できる有意義な場であり、創作家としては色々な刺激(場の空気感・緊張感・想像力...)を受けられる貴重な時間です。
■ 速く描くということ|デッサンとクロッキーの定義的差異

「デッサン」と「クロッキー」という言葉は、しばしば、ほぼ同じ意味で使われますが、明確な違いがあると考えています。
デッサン: 形を捉え、具象的に立体感(遠近感)をもって再現すること。また、そのために「物体」を研究・理解すること。時間的制約は関係ありません。
クロッキー: フランス語の「速描」。英語のラフスケッチ「素描」に近い概念です。手早く描くことを指します。
今回の会では10分からスタートし、7分、5分、そして最終的には1分……と、徐々に制限時間が短縮されていきました。
10分という時間は、細部まで「デッサン」として研究できる有意義な時間ですが、10分から1分へ時間が短くなるほど、表現されるものは別の領域へと移行していきます。
■ 時間の変化から見えてくるもの

10分はクロッキーとしては、比較的長い部類に入ります。
これだけあれば対象をしっかり観察でき、細部までこだわり描ける「デッサン」として、非常に有意義な時間を過ごせます。
一方、時間を短くし、速く描くことのデッサン的な意義は、大きく形(ボリューム感)を捉えることに意味を見出せます。
要は、時間を取って描く「デッサン」はディテールの研究に向いていますし、速い時間で描く「デッサン」は、空間認識の訓練に適しているということだと思うのです。
■ 「味」としてのクロッキー|武装解除した先に見えるもの
しかし、これは「デッサン」としての側面。
クロッキーの真の面白さは、技術的な側面と対になる「表現」が大きく影響してくるところがとても面白いのです。
速く描くとき、考えている余裕がありません。……ということは、生々しい未整理の「何か」が残りやすい。
この初期衝動の足跡と言えるものがタッチの正体であり、絵に芳醇な味を与える重要なファクターだと思うのです。
だから、理屈で修正をすると絵は殺されるのです。

【机に並べられたクロッキーたち】本日描いた分の一部。並べることで見えてくる、線の勢いや積み重ねてきた時間の密度が面白い。
■ 技術の先にある「表現の核心」へ
時間をかけることで得られる「研究」としてのデッサン。時間を削ることで剥き出しになる「感情の足跡」としてのクロッキー。
この二つが重なり、一つに収束する「一瞬」。ここに描く醍醐味があると思っています。
だから、描いている時は「考えすぎない」。 そのために、普段から立体物を深く観察・研究する。 そして、自分の興味に徹底してこだわる。 ――そう決めています。
描いている最中、主導権を握っているのは圧倒的に「手」です。
モデルの立ち姿に理想のフォルムを重ね、線が残してくれた足跡を大事にする。「余計なものを省く」というModism(モディズム)からの価値観も共にしながら。
それは、ある種の「決断」であり、潔い「あきらめ」のような感覚です。
■ 無意識を意識する「メタ視点」
その時、もう一人の自分が冷静にその軌跡を眺め、
「今、理想の形を捉えられているか」
「その空間に美学はあるか」
と問いかける。
無意識に現れる「感情の質」までも、客観的に捉えてコントロールすること。
相反する二律を、「無意識」が「意識」できるように。
このメタ視点によるバランスこそが、私の求める表現の核心であり、時間が削ぎ落とした先にある単なるデッサンを超えた「景色」が観れたとき、また描きたいと思うのです。
(このメタ視点については、またの機会に綴ろうと思います。)




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