時間制限があるから描けること──クロッキーが教えてくれるもの
- 6月12日
- 読了時間: 4分
更新日:8月2日

2026年6月7日。
3か月毎に開かれている、佐上まりこさん主催の「小さなクロッキー会」に参加してきました。
定期的にお誘いいただいており、クロッキーが好きな方たちとの会話や、他の方の絵を見る機会ができることは、いつも良い刺激になっています。
今日はあいにくの空模様でしたが、湿気もあるので「少し硬めの鉛筆にしようかな」などと思いながら会場へ向かいます。
幸い雨もそれほど強くはなく、あまり濡れずに到着しました。

今回は、女性モデルを招いてのコスチュームクロッキーでした。
毎回思いますが、クロッキーは何度参加しても必ず何らかの学びがあります。
新しい発見ももちろんありますが、長年クロッキーを描き続けてきたことで、初心を思い出すような感覚があります。
「やはり、こういうことは大事だな」と改めて感じたり、頭では理解していたことを、もう一度身体感覚として確認できたりするところが、クロッキーの良さだと思います。
これは、部屋にこもって一人で描いているのとは少し違います。
自分の場所ではない環境で、多人数の中、肉眼で実際のモデルを見て、時間制限のある中で描く。
一見すると多くの制約がある状況ですが、だからこそ見えてくるものがあります。
■ 制限が集中を生む

自由に描いた方がうまくいく場合もありますし、ある程度の制限がある中で描くことで得られるものもあります。
同じ「描く」という行為でも、環境によって大きく変わるのだと思います。
自由に描く場合は、何にも縛られず、様々なことを試したり、思いついたことを奔放に形にしたりすることに向いています。
ただ、その一方で、気持ちが乗ってこない時には、なかなか集中が続かないこともあります。
クロッキーの場合、時間や描く対象という制限があります。
その時点で、否応なく集中する状況が生まれます。
もちろん、描くこと以外に意識が向いている時は、ただ時間だけが過ぎてしまい、うまく集中できません。
しかし、ふとした瞬間に対象へ意識が入り、線が自然につながり始めると、一気に描くことへの流れに乗ることがあります。
その時には、普段抱えている問題や考え事が頭から離れ、描くことそのものに集中しています。
そして、描き終わった後には心地よい疲労感が残ります。
■ 集中が残してくれるもの

クロッキーの描後感覚は、スポーツと少し似ているところがあるように思います。
スポーツでも、状況やルールによる制限の中で集中力が高まり、自分の状態と向き合う瞬間があります。
クロッキーにも、同じような精神の動きがあるように感じます。
ですから、10分、7分、5分、3分、果ては1分と、時間が短くなるほど体裁を整えている余裕がなくなり、生身の何かが残りやすくなるように感じます。
集中力を長時間持続させることは難しく、短時間だからこそ、この「瞬間」にグッと注力できるのだと思います。
クロッキーが単なるデッサンではないところは、この辺りに強く表れているように思います。
ここが、とても面白いところです。
ただ、この感覚だけに寄り過ぎても、何を描いているのか分からなくなりますし、反対にデッサンへ寄り過ぎると、今度は絵が固くなってしまう。 「何を描こうとしているか?」そこが、全ての鍵ではないかと思うのです。
この意識を持ち、少し手が慣れてきた頃に思い切って描いたものが、良いクロッキーになりやすい。
この「思い切り」を生み出すためにも、時間の制限は必要な要素なのだと思います。
そして、それは「あきらめる」ということでもあります。
すべてを描こうとしないこと。
限られた時間の中で何を選び、何を捨てるのか。
クロッキーに向き合う姿勢には、そのまま自分の物事の考え方が表れているように思います。
それは同時に、これまでクロッキーを描く中で、多くのことを教えられてきたということでもあるのだと思います。
そう考えると、やはりクロッキーが、私の原点なのだと改めて感じた一日でした。
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